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昭和三十七年の牛嶋神社大祭


当ホームページ管理人の父親が撮影したものです。撮影した本人があの世に行ってしまったので長らく正確な年代は分からなかったのですが、太平一丁目町会様のご厚意で、浴衣の柄などから昭和三十七年の大祭であることが判明しました。太平一丁目町会様に心から感謝いたします。
駒三とは直接関係ないので恐縮ですが、今では珍しい写真だと思うので公開しました。他にも何かご存じの方がいらしたら、ぜひ教えてください。

画像をクリックすると大きな写真にリンクします。
太平一と書いてある大団扇が見えます。太平一丁目町会様に見ていただいた結果、昭和三十七年大祭の太平一丁目神輿であることが判明しました。
こういう大団扇も今ではあまり見なくなりましたが、太平一丁目では今も使っているようです。

着ているものも今とは違います。ほとんどの人が半だこを履いています。どんぶりに股引が主流になったのはいつ頃からなのでしょう?
この写真も神輿の形、袢纏の柄などから、上と同じ太平一丁目と思われます。
今の太平一丁目神輿は、蕨手に龍の飾りがあるようですが、この当時はありません。

神輿の屋根の紋が三つ巴です。牛嶋神社の紋は「丸に剣方喰」(まるにけんかたばみ)ですが、氏子町会の中にも三つ巴を付けている神輿がいくつかあるようです。右の方の団扇には「樋口亀吉」と書いてあります。
このページをご覧になった石原一丁目の樋口繊維工業株式会社様からご連絡をいただき、樋口亀吉様は、樋口繊維工業株式会社様の初代社長であることが判明しました。

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平成24年の大祭を記念して作られた牛嶋神社のカレンダーには、連合宮入に参加した全ての神輿の写真が掲載されています。それを照らし合わせてみたところ、上の写真は向島五丁目西町会ではないかと思われます。横の紋が三つ巴であること、担ぎ棒が黒でトンボ(横に渡した棒)が丸太であることが理由です。当ホームページの管理人の祖父の料亭があったのも向島五丁目西町会ですので、父親が地元の神輿と言うことで撮影したのだと思います。詳しいことがお分かりの方がいらしたら、ご連絡いただければ幸いです。

駒番が三十一になっています。今の三十一番は横川三丁目ですが、神輿の形、担ぎ手から上と同じ向島五丁目西と思われます。
それにしても今と比べると雰囲気がかなり男臭いように見えます。担ぎ手に女性は一人もいません。背中に彫り物のある人も目立ちます。


当時の下町では“その筋”じゃない人でも、彫り物は珍しくなかったようです。向島で商売をしていた私の祖父(明治37年生)は、私の知る限りヤクザとはなんの繋がりもない一般人で、言問小学校でPTA会長までしたそうですが、背中から股にかけてこんな感じでした。
ただ、二つ上の写真を見ても分かるように、この時代にはすでに若い人で彫り物のある人はいないようです。

この神輿は全員上半身裸で担いでます。
牛嶋神社のカレンダーを見ると、蕨手の龍の飾りや屋根の吹き返しの形が石原四丁目の神輿とよく似ているのですが、はっきりしたことは分かりません。
ご存じの方はいるでしょうか。