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駒三の歴史

東駒形三丁目は古くは、中の郷原庭町(なかのごう・はらにわちょう、ただし古くは“はらばまち”とも呼ばれたらしい)、中之郷元町北本所表町松倉町北新町と呼ばれる町でした。

本所地区は、赤尾浪士の討ち入りや、「鬼平犯科帳」の中で長谷川平蔵が若い頃“本所の銕(てつ)”と呼ばれていたことなど、特に時代劇の世界では有名な土地で、江戸時代から碁盤目状に区画整理がされていました。
しかし古い地図を見ると東駒形の付近だけ道が曲がりくねっています。このあたりは寺院と大名の下屋敷の土地だったようです。今でも町の中には、歴史の古い寺がいくつかあります。

関東大震災の後、この周辺も区画整理が行われ昭和5年に町名も東駒形一丁目から四丁目までとなりました。命名の理由は台東区の駒形と隅田川を挟んで東側の対岸にあるからという、極めて簡単なもの。昭和の高度成長期に、東京のあちこちで旧町名が味気ない名前に変えられたことがいまだに批判されていますが、その元祖のようなものです。

とはいえ80年近く経った今ではすっかり馴染んでしまって、大正時代の町名を懐かしがる人に会ったことはありません。
蛇足ですが、台東区の駒形には二丁目までしかありません。“駒三”は墨田区東駒形三丁目だけということになります。

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